子どもを殺す夢を見た。
正確には子どものことを忘れていたのだ。すっかり忘れ去っていて、気づいたときには机の下に冷たくなった赤ん坊が転がっていた。私はそれを捻じ曲げて折りたたんで水にさらして死臭を取ろうとし、捨てる準備をした。しかし、出来なかった。母に告白するところで夢は醒めた。
赤ん坊の他にももう一人少女が居た。赤ん坊の存在を忘れ去るような私がどうやって育てたのかは分からないが、その娘は五歳くらいまで育っていた。しかし、赤ん坊同様途中で娘そのものを忘れたのだろう。小さく縮こまって腹を空かせていた。
母が久々に私を訪ねると言うものだから急に子どもの存在を思い出して丁寧な世話をし始める私であった。本当に、すっかりと忘れてしまっていただけなので、世話をすることは苦痛ではなく寧ろ幸福にも似た何かを感じていた。幸福そのものではないのだけど。同時に、赤ん坊のことを悔やんで悔やんで、涙を流した。居なかったことにすれば丸く収まるはずではあるが、なんでも人に話す私がそんなこと出来るはずもなかった。
その赤ん坊はかつて肉体を結んだ男との間に出来た子どもだった。目先の肉欲で頭がいっぱいになるほど当時は愚かだったし、その男の「今まで避妊しなくても大丈夫だった」というなんとも安くて信用に値しない言葉を信じてしまった。信じない方がいいものを、背徳感を携えて信じたい瞬間がある。その悪魔的な誘惑に、私が、私の自己肯定感が敗北したのであった。自分のことが本当に本当にどうでも良かった。その自暴自棄と他者の命を腹に宿すことは別問題であることを考えられないほどに、自分のことがどうでも良かったのだ。
きっとこれは現実の危機感と密接に結びついている。環境を変え、恋人ができ、順調に安定した生活を手にしつつある私が清算しなければならない宿業、それが自暴自棄だった時期の私だ。つい一か月と少し前までは狂ったように誰とでも寝る女だった。今、たった今、生理周期が乱れている。精神と共に身体が作り替わっているのか、はたまた過去の悪行のツケが今払われようとしているのか...
もう一つ考えることがある。子を持つことについてだ。私は、自分の腹から生まれた命を、私から切り離された別人格だと見なせる自信がない。別の命である以上、私の意にそぐわないこともするだろう。それを許せる自信がないのだ。とはいえ、いつか子を持つのだろうという根拠のない予感や、子を産まなければという強迫観念に苛まれて日々を過ごしている。だからこそ、より一層子を持つという現象が恐ろしい。夢で私が自身の子どもを忘却するという選択をしたのは、その恐怖から逃避するためではなかったろうか。そう思うと、ああ、私は子を持ってはならないのに...といった感情になるのだ。
とんでもない夢でとんでもない時間に目覚めてしまったものだ。明日も一日を送るのが困難かもしれない。